れおのプロフィール
始めまして。れお
また、本来は顔出してご挨拶すべきですが、本名ではない理由や顔出ししない理由もお話ししていきます。
私の好きな言葉があります。
「大切なのは失敗しないことじゃない。失敗しても立ち上がる力が大切なのだ!」
どん底から這い上がった人間「れお」のことを知っていただきたい。
そして、こんな馬鹿でもチャレンジ出来るんだから、あなたもきっと大丈夫なはずです!
そういう時期になってきたのかなと思いました。
そういう私は、行動力とポジティブ思考だけは馬鹿みたいにありました。サッカーもずっとやっていたので継続力もそこそこだと思います。
今、40過ぎのおっさんが全く知らなかった世界で生きていこうとしています。
毎日問題にぶつかり、乗り越える
その連続で、1年以上経ちました。
今まで調子に乗って生きてきましたが、狭い世界だったことにも気が付いた。
モテることばっかり考えて、ホストみたいな生き方して、たくさんの仲間とも出会いました。
サラリーマンもやってましたし起業したこともあります。そこそこ「凄いね!」とも言われていましたが、すべての人に好かれようとしていた事も分かりました。
「嫌われる勇気」がなかった、、、40過ぎまで。。。
そんな男のプロフィールです。かなり長いですが、お付き合いください。

「れお」について
まずは「れお」についてお話しします。
「れお」のプロフィール
名前 | れお |
名前の由来 | 今は離れて暮らしている猫の名前 |
出身地 | 日本 |
年齢 | 40代 |
血液型 | A型 |
星座 | さそり座 |
趣味 | インテリア・アウトドア |
長所 | 行動力・綺麗好き |
短所 | 飽きっぽい・几帳面・人見知り |
性格 | 好きな人は好き、嫌いな人は嫌いという性格 |
弱点 | ドラマや映画ですぐ泣く |
好きな食べ物 | ホルモン系 |
嫌いな食べ物 | グリーンピース |
苦手なこと | 釣り |
特徴 | 髪の色が青・赤・ピンク・緑になる |
身長 | 170センチ |
体重 | 64キロ |
その他① | バツイチ |
その他② | アートメイクしている(眉、アイライン) |
その他③ | タトゥーあり |
その他④ | パイプカット |
SNSについて
@Shu3926Co | |
reo_cocokara |
私は現在、21歳年下の妻と愛猫と暮らしています。


私自身は、インテリア好きでファッションも美容も大好きで、どこにでもいるような感じ、上記のプロフィールでもごく普通に思われるかもしれませんが、実は自他ともに認める変なヤツです。
そんな「れお」が出来上がった略歴を以下にまとめてみました。
「れお」の略歴
幼少期 | 長男として生まれ弟と父母4人家族 |
小学校時代 | 小2からサッカーを始める |
中学校時代 | 強豪校で死にそうなくらいサッカーを! |
高校時代 | 女子校と合コン三昧 |
専門学校(中退) | 相変わらず合コン三昧 |
18歳 | バーテンダー時代 |
20歳 | 東京へほぼ無一文で、パチンコ店で働く |
22歳 | 一部上場企業に就職 |
23歳 | インテリア業 |
28歳 | 独立開業(インテリアショップ) |
30歳くらい | アパレル業界へ |
40歳くらい | 突然の体調不良により退職 |
4○歳 | ある事件をきっかけに全てを捨てる |
4○歳 | ブログ・アフィリエイトスタート |
現在 | 海外移住計画中 |
と、まぁ簡単にまとめてみても「いい加減な人間」ですね。(苦笑)
こうして書いていると簡単な人生だったなぁ!と思うのですが、結構、波乱万丈な「人に迷惑ばっかりかけてきた」「いろんな人に出会い育てていただいた」生き方をしてきました。
以前、「過去の武勇伝を自慢するオヤジはモテない!」
という記事を書きました。
今でもそう思っています。
ですが、プロフィールなので正直に書きます。ちょっとだけ武勇伝も入ってますが許してください(笑)
少しずつ思い出しながらそれぞれを書いていきたいと思います。*後世で誰かが見てくれた時にあんなヤツだったんだ!ってなるかもしれないので。
当サイトを作ろうと思ったきっかけ
まずは、最近髪の色が「ターコイズブルー」で、何やってる人ですか?美容師ですか?
って言われます。
そこで、「ネットで仕事してます」というと、、、???ってなります。
YouTuberみたいな感じですよ!というと
(一般の人にブログって言うと芸能人の日記みたいな印象があるようです)
えっ!
すご〜い。
とか言われます。
で、サイト教えてください!とか言われるんですが、そもそも芸能人でもないし、googleの検索で上がるように記事を書いてる。サイトもそんな感じなので私に興味を持って頂いても、サイトの内容は全く違うから、、、
それで、自分を書いていこうかな?と思ったのが1つです。
2つ目は、冒頭で少し触れましたが、
自分を出して、そろそろいい時期かな?と思ったから。というのもあります。
ずっと営業系・販売系の仕事をやってきましたので、物を売るのはわりと簡単です。
ですが、それは顔が見えるから!
信用してもらうのに、会って話せば大体わかります。
でも、ネットの世界は難しいです。どこの誰かわからないですよね!
「個性は必要ない!」と色々勉強していく内に分かってきました。ですので、他サイトでは個性はなるべく消しています。
ユーザーさんが知りたい情報を、正しい内容で伝える事を意識しています。
根っからの体育会系で、ネットの世界とは完全に無縁の人生でした。
たぶん、病気にならなかったら(後ほど詳しく書いています)ブログなんかやらなかったでしょうし、ネットでお金が稼げることすら知りませんでした。
Twitterやインスタも興味がなかったし、仲間とワイワイ楽しくやってて、年収も8桁手前くらいはあったし、家買って外車乗ってそこそこ遊んで、、、そのままで普通に楽しかったんで。
しかし、
突然のパニック発作、それから身体中に異変が!病気が全てを変えました。自殺しようとしましたが未遂に終わりました。
そこで私を救ってくれたのが現在の妻です。(バツイチで再婚・21歳年下です)
彼女がいなかったら、もうどうでも良かったかもしれません。
現在、ワードプレスでサイトを運営しています。収益も出ています。
全くのど素人がですよ!
まだまだですが、少なくとも成長し続けています。
話しを元に戻します。
じゃあ、私を思いっきり知ってもらおうかな!?と思ってこの記事を書いています。
個性を消して、たくさん記事を書いてきましたが、私にしか書けないことがあることにも気がついてきました。
頭が悪い人間なので、自分では普通に思っていた人生も、
「凄い経験してますよ」
と、ある方に言われ気がつきました。
じゃあ、オンリーワンでやってみようと思う様になりました。
そして、自分の体験に基づいて記事を書いていきます。それで、いっぱい嫌われても良いので誰かの役に立ちたいんです。
なぜ?
そんな綺麗事、、、
と、思いますよね。
でも、そんなに簡単な話しじゃないんですね。
世の中に必要とされなくなった事がどんなに辛いことか?、徐々に触れていきます。
では、変なヤツがどうやって生まれ、どうしてこんな人間になったのか少しずつ書いていきますね。
幼少期
落ち着きがない子だったようです。
私は頭にいっぱいハゲがあります。(ツルツルという意味ではありません)
自分ではあまり覚えていませんが、よく怪我をする子だったそうです。
そのため普段はわかりませんが坊主頭にすると傷がわかります。
幼稚園・保育園とかで悪ガキがお仕置きをされるのってわかりますか?私が行っていた保育園は、寺がやっていたので園長先生がお坊さんでした。
そして、悪いことをすると本堂に閉じ込められていました。
その記憶はあります。
小学校
小2からサッカーを始めました。
小学校にフットボールクラブができて、監督は学校の先生です。
「キャプテン翼」が大人気だった頃です。
当時はまだまだJリーグもなく、クラブチームの下部組織といった感じはありませんでした。
なんとなく始めたサッカーでしたが私が6年生になった年に初めて県大会に行きました。
県大会?
市の大会で上位のチームだけ県大会に行けます。後に我が子が同チームに所属して聞いたのですが、私たちの年代が一番上まで行ったそうです。
県でベスト8
空前のサッカーブーム(キャプテン翼のおかげ)でしたので、いっぱいチームがありました。
全国大会なんて夢みたいな世界でした。
ちょっと自慢ですが私は背番号「10番」でした。翼くんも10番で、昔は憧れの背番号だったんです。

それから、運動会では一人だけ「赤いハッピ」を着て応援団長やったり「騎馬戦」の大将の上をやったり、目立ちたい人間だったと思います。
面白いのですが、
我が子(次男)が6年生の時、私と全く同じ応援団の団長
しかも赤
そして、騎馬戦の大将の上
運命ですかね。
土日は仕事ばっかりだったので、長男、次男、長女の節目(1年生とか6年生の時など)にだけしか行けませんでした。
一眼レフカメラを買って
騎馬戦が始まり、、、
時が止まったというか、感動して涙が出たのを覚えています。
赤は大将だけになり、敵は大将とまだもう一騎います。
先に大将じゃない方と闘います。
比較的あっさり勝ちました。
その後です。
長期戦
周りのみんなが『○○○頑張れぇ〜!!!』って応援しています。
我が子の名前を
たくさんの人が、、
もちろん約半数は相手を応援していますし、互いに必死です。
私は、シャッターを押すのも忘れるくらい手汗がすごかったです。
そして、どのくらい時間がたったんだろうか?
勝ったんです。。。。
涙が止まりません。
私だけじゃないんです。親父が隣にいて、、、普段、無愛想な親父もうっすら。。。
騎馬戦は上だけじゃ勝てません。
馬、下で支えてくれる人がどんだけ重要か!がわかります。
抱き合って喜んでいる息子の姿を見て、胸が熱くなりました。
後に次男は、私の通っていた高校へ行き生徒会長までやりました。現在は3年くらい会ってません。
と、話しはそれましたが何かと目立ちたい男が出来始めます。
あと、授業中「うるさいから出ていけ!」と言われて学校を抜け出し大変なことになったこともありましたね。(反省)
中学校
「ビーバップハイスクール」全盛期です。
短ラン・長ランにボンタンの時代です。女子は長いスカートで上着の丈を短くしてみたいな。(古っ)
「ちょい悪の小僧」がサッカーだけは一生懸命やってました。
けっこうな強豪校でした。
練習は、放課後どころじゃないですよ。
朝練もありました。
土日も関係ありません。
試合なんかは10キロとか離れた学校まで自転車で行ってましたよ!
私と同世代の方はわかるかもしれませんが、1年生は練習なんか出来ません。球拾いや声出しです。
で、練習終わったら先輩のしごき!からの部室掃除
2年生で徐々に練習に参加できます。部室を使えるのは3年生だけです。
1個上の先輩は神です。2個上は雲の上すぎてよくわかりません。てな世界でした!
私たちの代はそこまで強くなかったんですが、1つ上の代がとんでもなく強くって私が2年生の時ベンチに入ってて、優勝して
金メダルを私ももらいました。なんもしてませんが、、
私が持っている唯一の金メダルです。
監督は学校の先生でしたが、かなりヤバイ先生でした。
今じゃ考えられないですね。体罰って言われ問題になります。
体育の授業がダルかったんで出てなかったんですけど、職員室に呼び出され正座からのビンタの連発(サッカーの監督は体育の先生じゃないです)
鼻血は出るわ、顔はパンパンに腫れて、、、
ビンタくらいはどうって事ないです。小学校の時も試合のハーフタイムとかでも殴られてましたからね。
あと、ケンカなんかも普通にやってましたし、殴られるのは全然平気です。
まぁ、懐かしい思い出です。
後にその先生は校長先生になっていました。当時のことを懐かしそうに話してくれました。感謝しています。
余談ですが、
童顔だった私は、女子から「可愛い」と言われることがかなり嫌でした。
今はありがたいですけど、、、童顔の人ならわかりますよね。 (笑)
高校
高校に入ってから私の中で大きく爆発していきます。
まだまだヤンキー全盛期です。
私の高校もヤンキーいっぱいでした。他校と喧嘩したり。
しかし、私の興味は他校と喧嘩なんかじゃありません。
女子クラスがあったくらい(男女比が約6:4)女子が多かったですね。
小学校・中学校の友人の中には男子校に行ったヤツもいたんで、合コンみたいな感じはよくやってましたね。
女子校とも仲良かったです。
高校2年生に上がる時に、なぜか特進クラスに入れられます。
それがけっこう運命を分けました。
全部で6クラスあったのに1クラスだけ授業が違います。テストも違います。
いつも最下位か、私と同じ間違って入った女の子がいてどっちかが最下位でした。
遅刻や早退の常習犯で、「なんでお前は?」っていつも担任に言われ親も何度も呼び出されました。(パチンコ行ってました)
でも、不思議と親からは怒られなかったんですね。
そこで、後の私の生き方を決定付けることが起こります。
読書感想発表
教壇に立ちみんなの前で発表します。
私は「矢沢永吉さんの成りあがり」を読んで発表しました。
みんなの前で宣言しました。
「成り上がります!」と。
ちょっとだけ訳があって、何故か私の周りは金持ちが多かったんですね。
幼なじみは、織物屋の息子
他には、コンクリート会社の息子
市議会議員の息子
美容室の息子
タオル屋の息子など
だから、バイクや車なんかすぐ買ってもらう。
洋服なんかもDCブランド全盛期ですよ!(古っ!)
お小遣いも全然違います。
私は、ガソリンスタンドや居酒屋でアルバイトして遊ぶお金を稼いでいました。
だから漠然と「金持ちになりたい!」という事を思っていました。
あっ、サッカーは?
サッカー部が無いような弱小高でした。(現在は監督が変わり誰もが知っているような強豪校になっています)なので、1年の時友達に誘われてなぜか?バスケ部に入ります。
サッカー部があると知って2年の時そっちに入りますが、つまらないので試合だけ行ってました。○○中のサッカー部だったっていうだけで「凄い!」と言われるくらい中学は強豪校でしたからね。
すると、監督からもちろん怒られますよね。
何度かみんなの前で「ちゃんと練習も来ます!」と言わされましたが、徐々にフェードアウトして行きました。
卒業アルバムにはサッカー部・バスケ部両方写ってます。
いるでしょ!そうゆうヤツ
あと、クラスの集合写真も他が真面目だから異様な感じで目立ってます。
それから、大きな声じゃ言えませんが、
幼なじみの家庭教師がスナックで働いていて、高校くらいからスナックなどに出入りしてました。(苦笑)
専門学校
まだやりたいことが見つからないまま、とりあえず大学行くか?
と思っていたら、推薦がもらえない。(特進にいたのに平均に達していなかった)
なんとなく専門学校に行きました。
ウザイと思われるでしょうが、知らない女子から「一緒に写真撮ってください」とか言われてました。

相変わらず合コンばっかりやってましたが、この頃少し変化が出てきます。
モテると誘われなくなる。
面白くした方がいい。などなどなど、、、
合コンのテクニックみたいなのがわかってきました。
相手のグループの抑えておくべき女性は誰か?目立たない子を楽しませるには??
合コン三昧で得たものは後に役に立ってきます。(笑)

バーテンダー時代
専門学校を中退してすぐだったので、18〜19歳くらいの時です。
人と同じことはしたく無い、言い換えれば目立ちたい。
と思っていた時期だと思います。
地元ではけっこう有名なお店を、先輩に紹介してもらいました。
外国人のヴォーカリストが歌っていて、オーストラリアから来た女性もスタッフにいました。
外国人(シカゴから来た黒人男性・オーストラリアから来た女性)と、会社の借りているマンションで共同生活をしていたのも楽しかった思い出です。
オーストラリアの女性(一緒に住んでる人の友達)と交際も、アメリカ人とも付き合いました。

そして、ここでもモテるとはどういうことか?
を学びました。
かっこいい先輩がいました。
聞いてる音楽もセンスも行動力もハンパない!
しかもモテる。
まぁ、はっきり言ってホストみたいな仕事でしたね。
私目当てで来てくれる人もいました。
そこでまた、楽しんでもらう!ことを学びます。
押す・引くがなんとなくわかってきた。
あっ、お客さんには手は出してませんよ。それは三流がやる事!と教わったんで。
そんなに軽い男じゃないです。むしろ追われると逃げる男です!

そして、海外に行きたい願望が出てきます。
調子に乗っていた私は、海外にはいきたいけど「東京」ってところも経験したい。
一度は味わってみないと気が済まない性格なので、金も無いのに深夜バスで15時間くらいかけて東京へ行きます。
行動力は半端なかったと思います。そうとう行き当たりばったりの人生です!
東京へ
新宿駅に着いて山手線に乗って向かったのは原宿でした。
会ったこともない、友人の従姉妹のお姉さんの所に泊めてもらいました。
原宿で美容室で働いていて、銭湯に行ったのを覚えています。
所持金が小銭しかなく、求人誌で(住み込み・食事付き)を探しました。それがパチンコ店だった訳です。
ちょっと下町のパチンコ店で、すんなり採用してくれました。
またまた、ここで面白い人間たちと出会うことになります。
今と違って昔のパチンコ店はグレたような人間ばっかりでした。務所に入ってた男なんか普通でした。
めちゃくちゃ楽しかったですね。
イキイキしていたと思います。
完全に余談になりますが
ある時、皆でこっそり事務所に入ってみんなの履歴書をみていた時
超絶笑えたことがありました。
健康状態って欄があるじゃないですか。
普通は「良好」とか書くでしょ
頭悪い女がいて(夫婦で働いてて夫もバカでした)
なんて書いてたと思います?
「大丈夫!」って書いてあったんです。
めちゃくちゃでしょ。
それで面接通ってるんですから。。。。バカばっかりでしたね。(自分も含めて)
あと、アニキに紹介したいとか言われてあっち系の人に会わされました。もちろん断ったんですが!歌舞伎町にホストの面接にも行きましたが寮が相部屋って言われて断りました。
初めに入ったパチンコ店は、事情があってみんな同じ時期に辞めてしまいました。
それからパチンコ屋さんを2〜3件回って
最後は横浜にたどり着きました。
生意気なヤンキーの女がいて
めちゃくちゃ感じ悪かったんですけど、私は気がついたら班長になり主任になっていました。
オールと言って朝10時〜夜閉店までお店にいました。(休憩はありますが)
そして終わったらみんなで毎晩飲みに行ってました。
結構働いてて給料も良かったんですが、お金なんか溜まるはずありません。
そして、そのヤンキー娘に告られました。

ちょうどその時、地元に帰る決断をしていたので丁重にお断りしました。
どこ行っても同じですが「ヤンキー」や「悪かったヤツ」は気持ちがいいです。基本的に馬鹿は単純で素直です!!!
そして裏表がないので本気で付き合えます!
と、まぁ
東京時代はまだまだ面白いことがいっぱいありますが、いつかまた。。。
一部上場企業
母が心配性で頭がおかしくなりそうだと言われ就職することに、、、
叔父の紹介で他県で建築関係の資材の会社(東証一部上場)に就職しました。
営業の基礎を叩き込まれました。
8時前には会社に行き、10時過ぎまで働いてました。それが普通だと思っていたので苦痛ではなかった。
ここでも素敵な仲間や上司に出会い、十分楽しかったです。
一度この時期に「殺されるか!?」と思うことを経験しています。車で連れ去られ山の中に行ってボコボコにされました。
今では事件になりますよ。(自業自得なので別にいいです)
まぁ、どうでもいい事はさらっと行きます。
インテリア業へ
やっぱり好きなことで仕事がしたくて、インテリアの仕事に転職。
○○デザイン(株)という、割と有名だった会社に就職できました。
お客様が女性ばかりでしたので割と楽しかったっていうか、向いてるのかな?とも思いました。
元々、小学校・中学校くらいから部屋を模様替えしたり(ブロックやレンガでオーディオラックを作ったり)してましたし、インテリアには興味がありましたので、楽しかったですね。
モデルルームを作ったり、一般家庭のインテリアのアドバイス・販売(家具・照明・カーテンetc)、住宅メーカーなどのコーディネーターからの相談など。インテリア全般です。
ただ、そんなに綺麗な仕事ばっかりじゃないです。
施工もやってました。
カーテンを取り付けたり、照明を取り付けたり。
元々、ファブリック・カーテン系がメインの会社だったので、インパクトドライバーの使い方はここで習得しました。
今でもDIYなんかは軽いもんです。
私を変えた人生最大の出会い
衝撃的な出会いをします。
ずっと調子に乗っていた私が「この人凄い!!!」と思った出会いでした。
友人に「社会人サッカーのチームを作りたい人」がいると言われ、紹介されたのがその人です。
10歳くらい年上で、高校からアメリカに行っていて親が会社を経営している、3代目になる人でした。
当時の私は、自分が一番みたいに思っていた生意気なやつでした。
パチンコ店でも主任をやってたし、インテリア業でも主任でした。仲間もいてそこそこ「人の上にも立てるんじゃね!」。みたいに感じていた男が、
「こんなに人を惹きつけて、感動させて、引っ張って行く人間」がいるのか???
と、衝撃でしたね。
とにかく規格外で、豪快で、キレたら手が付けられない男
その人は社会人チームの監督になり、私はプレイヤーでした。
印象的なのはPKを私がどんなに外してもキッカーを変えなかった。
エースとはそういうもんだ。
と、
他に、キャプテンを選ぶことがあって「会議室みたいなところで」ほとんどが私を押してくれて、監督の一言で他の人(私の高校の友人)に決まりました。
実は、かなり深い理由があったんです。
少しだけ触れますが、キャプテンはエースである必要が無いってことでした。
後に監督は私のことを自分の後継者と紹介してくれることになります。監督にしようと思ってたんですね。
周りの、私の仲間たちにも私のことを支えるように指示していたんです。強面の体がデカいやつには「ボディーガード」になれって!!※命なんか狙われてませんからね。(笑)
本当に可愛がってもらいました。高級クラブなんかも勉強になりました。
この人のおかげでJリーグの選手や監督、テレビでしか見たことがない様な人にも沢山合わせていただきました。
いろんな社長さんにも「自分の弟みたいな奴」だと紹介してもらってました。彼は一人っ子だったのも関係あるかも知れませんが直接は聞いたことがありません。
とにかく一緒に連れて行ってもらいましたね。感謝とかそんなレベルではありません。
いつか、恩返ししたいなぁ!と思っていました。
ですが、
今でもはっきりと覚えています。
「俺に恩返ししようと思うな!後輩に自分が感じたことをやってやれ!」と言われました。
なんて深い言葉だ!と、、、、後に私も、そう言うようになって行きます
練習は週に2〜3日、毎週末は試合
終わったら必ず飲みに行ってました。
そしてみんなで語り合いました。
時には熱くなって衝突することもあります。
時にはというか、よく衝突しました。
でも気持ちの良い仲間ばっかりでしたので、衝突するたびに絆が深くなって行きます。
そうです!監督ともめちゃくちゃ衝突しましたよ!!!!
でも、この人すごいのが「謝ったり、悩みを聞いてくれたり」じゃないんですね。
飯行くぞ!
みたいに、、、
そして何事もなかった様に、朝までいろんなことを語り明かします。
お店を出たら朝だった!そのまま仕事に行って「酒臭いから帰れ!」と言われたことも、、、、多々
不器用な男だったのか計算だったのかはわかりません。
でも、似た様なタイプの私にはけっこう深く体に染み付きました。
それも現在の私に役に立っています。
社会人チームは高校生でも入れます。異業種の人ともたくさん出会えました。
私は当時家族(元妻と子供3人)がいましたが、どこかに行く時は必ずみんなで行ってました。
子供が、「今日は誰が来るの?」って言うくらいにプール・海・キャンプ他、なんでもいつも仲間が一緒でした。
後に後輩たちが私の息子が大きくなって「釣り」に連れて行ってくれたり「飲みに」連れて行ってくれていました。
「自分がしてもらったのを後輩に、後世に!」のループができている素晴らしい仲間でした。
現役を引退し、「コーチ」になり「監督」までやりましたが、私が転職したため土日に行けなくなり
しばらくは試合に監督がいない状態で頑張りましたが、やっぱり無理があって監督も引退しました。
この事で大きなことを学びました。
自分が褒められるよりも、自分が育てた選手が活躍する方が数百倍嬉しいです。
育てる難しさと、喜びを学ばせていただきました。
この時期だけで永遠に書けますが、長くなるのでこの辺にしたいのですが、
監督の話しでもう一つだけ、、、、、ファミレスなんかに行かなくなったのもこの人の言葉がきっかけです。
「どうせ使うんなら、生きた金を使え」
お店の人と仲良くなれるような、言い換えればファンになってくれるような。
私がいたチームは現在も活躍しています。
下部組織もできています。行きつけだったお店さんはスポンサーになってくれたり、試合に差し入れを持ってきてくれたり。
チームメイトだけじゃなくお店の人もみんな仲間です。
と、ここで、、、
唐突ですが、
私は風俗が嫌いです。
お金を払ったら○◯○出来るというのに全く興味ないです。
行ったことはあります。
高級店に連れて行ってもらった事もあります。上記の人ではなく後で出てくる会社の偉い人に!
上記の監督も風俗は嫌いでした。
一回連れて行ってもらった時は、わざわざ指名して6時くらいに行くんです。
5〜6万払って、、、※あんまり覚えていないし相場を知りません
酔っぱらった勢いで行くならわかりますが、シラフで行くんですよ!
はぁ???って感じです。
女性は好きです。追いかけるのも好きです。
ただ、お金を払うと燃えません。
それなら合コンでも、ナンパでもキャバクラでも行って落とすまで頑張ります。
そのほうがスリルがあるし、駆け引きががあって楽しいじゃないですか!

どうでもいい話しですが、そんな人間だと知って頂きたかったのと「モテたい男子・オヤジを応援したい」
そんな記事も書いていきますので宣言しておきました。
独立開業(インテリアショップ)
小さいですが自分のお店を持ちました。
独立して、初めは付き合いのあった住宅メーカーさんの下請けみたいなことをやっていました。
ほとんどがカーテンのお仕事です。
○○ハウスとかのインテリアコーディネーターさんに、独立しても「あなたにお願いしたい」と言われていたので仕事はありました。
やっぱりエンドユーザーのお客様と直接接したいし、自分のお店を持つのは夢でした。
しかし、残念ながら失敗しました。
需要にあっていなかったんですね。
こだわりが強すぎました。
皆さんがよく知ってるメーカーだと、「サンゲツ」ってわかりますか?
サンゲツは有名です。しかし業界の人間からしたら至って普通です。
私は、主に海外のファブリックを取り扱っていました。
値段はかなり高いですがクオリティが・デザインが全然違います。
雑貨も「ALESSI」などこだわった商品や、南仏(プロバンス)風の食器なども
友人の家が地元ではちょっと名の知れたインテリアショップでした。ふとんやベッド、生活雑貨など、もちろん家具やカーテンも。
彼からは「すごいね!」とか言われていました。
業界の人間ならスゴいのはわかります。確かに取り扱うだけでも難しいです。
しかし、、、、、
業界の人間ならです。お客様はどんなに凄いかはわかりませんし、そもそも私のお店をも知りません。
私が出来なかっただけかもしれませんが、ネットがそんなに普及していませんでしたのでなかなか、、(涙)
マーケティングもできていなかった私の失敗です。
完全にカッコつけの駄目なパターンでした。
だが、失敗して学んだこともあります。
アパレル業界へ
そもそも私が現在、ネットで仕事をしたりTwitter・インスタをやってるのが信じられない話しです。
アパレルと言っても皆さんが知っているようなファッションではありません。
業種は申しわけありませんが伏せさせていただきます
100年くらいやってる「旅館」と思っていただくとわかりやすいですね。
3代目の社長(入社当時はまだ社長ではありませんでした)
いわゆる家族経営
相当なブラック企業でしたね。
先代がけっこうお年だったので、次期社長が右腕が欲しいといった感じで
私が入社したのは、本店があり支店ができたばかりでした。
もう1店舗出したいので、「君は1年で店長になりなさい!」と言われていました。
30歳で入社しました。
社長が「すごい子が入ってくるよ!」とか、みんなに言っていたらしく、初めはかなり冷たい目で見られました。
それでも、当たり前ですが朝は誰よりも早く行き、今までで一番必死にやった1年でした。
言いつけ通り1年も経たずに「店長」になりました。
出る杭は打たれる・出過ぎる杭は邪魔になる
本店 A店 があり、A店の店長が新店舗B店の店長となり私がA店の店長になりました。
2年くらいで売り上げを1.5倍くらいに伸ばしました。
私がやったのは単純です。
売る× → 喜んでもらう
これをやっただけです。
しかし、私の評価にはなりませんでした。やっぱり3年目くらいになると売り上げが上がるね!って感じでした。
業績が良くなってさらにC店を出すことになります。
そこで私が新店舗の店長として行くことになります。(※ここで単身赴任をしますが、元々家にはあんまりいなかったので生活はあんまり変わっていません)
ここで実績を出してやるとワクワクしていました。
1年目で業界でもびっくりされる様な売り上げを上げました。
さらに2年目も3年目もずっと上げ続け1億2,000万くらいは行きました。金額言っても分からないですよね。
失敗を経験している人間は強いです。なんてね(照)
でも、少なくとも経営者の大変さも分かっているつもりでした。
金額は良いとして、私がこの時期一番楽しかったのはスタッフです。
今でも仲の良いスタッフもいます。
スタッフは宝です。
ほとんど女性スタッフでしたので、私は今までの経験が全部役に立っている感覚でした。
お客様も女性です。
まさに 点と点が繋がった感覚 です!
実際の業種を言わないと伝わらないので言いますね。
呉服店です。
しかし皆さんが思っている様な「呉服店」とは多分違います。
成人式、卒業式しかほとんどターゲットにしていません。
そのために夏は浴衣を取り扱います。※未来のお客様を獲得するため
中学生、高校生、大学生などの女性ばっかりです。
成人式の振袖とは言ってもレンタルでも20万・30万くらいします。購入だと100万位になることもあります。
それを数百件接客します。
卒業式でもまた数百件
浴衣なんかは千人以上になります。
物を売る力は付きます。
ただ、私が売り上げを伸ばしたのはポイントがあります。
成約率を上げました。
どうやって?
一言で言うと、上記と同じ喜んでもらうこと!
もう少し詳しく言うならば3つ
①お客様(女性)に可愛いって言ってもらう事 ➡︎ とことん満足してもらう
②競合他店には真似のできないスタイル
③スタッフの教育
これを徹底しました。
始めはもちろん、私がほとんどのお客様を接客していました。しかしさらに上に行くにはスタッフが伸びないと意味がありません。
長くなりすぎるので別記事を用意いたします。
①にだけ少し触れておきます。
お客様(女性)に可愛いって言ってもらう事 ➡︎ とことん満足してもらう
着物は普段着ている洋服とは違います。
どんなのが似合うかはわからない女性がほとんどです。
普通の呉服店は試着する時「お似合いですね」でほぼ終わりです。むしろ帰れない様にして押し売りする店さえあります。
私はこれは全く逆効果だと思っていました。
私は、お客様の「こうなりたい!」を追求し
さらには、「私ってこんなに可愛くなれるんだ!!」
を徹底的にスタッフとやってきました。
簡単じゃありません。
押し付けでは駄目ですが、「こうゆうのも着てみたいけど、私には似合わないんじゃないか?」と思っているお客様に
試着を繰り返します。
いっさい手は抜きません!(超重要)
「着てみたいけど似合わないんじゃないか?」とお客様が思っている着物を「私これ好き!」と思ってもらうコーデをするんです。
「着物って楽しい!」「私ってこんな色も似合うんだ!」となるのが、難しいけど大切です。
5着くらい完璧にコーディネートします。
最後には1着に決めなければいけませんが、大事なのはお客様に「どれも好きすぎて決めれない!」と思っていただく事です。
最後の選択はお客様です。
なんとなく好きな商品があったお店と、自分の新たな魅力が見つかり気に入った商品が沢山あるお店は全然違います。
大満足してくれたお客様は宣伝してくれます。
友達を、またその友達を、、、
私は最高に楽しかったです。
だって、女性が喜んでくれる!仕事ですよ。女性が素敵に輝くお手伝いをする仕事。もう最高です。
天職とさえ思っていました。
金額が高額なだけに、親御さんももちろん大事です。
お嬢様が好きじゃ無いと「成人式なんて行きたくない!」となってしまいますが
親御さんの思いも大切です。
そのバランスが大事なのです。
スタッフにも売らなくて良い!
と教育していました。普通、着物屋さんのスタッフさんは年輩の方が多いですが、当時のスタッフは20代ばっかりでした。
余談ですが、同業他社がこっそり来店して技術を盗もうとします(偵察)が、全く問題ありません。考えてる次元が違うし、真似できるレベルではありません。
徹底的にコーディネートを勉強します。
そして、満足してもらうと自然に売れますし、スタッフのモチベーションも上がります。
まさに最高のスタッフ、仲間でした。
そうです。Twitterやインスタの話しです。
私の先輩店長はSNSを使ったアピールで売り上げを伸ばそうとしました。私はあまり興味がありませんでしたので、会社が指示する最低限のSNSはやっていました。というか部下がやってくれていました。
そんなことより他にやることがたくさんあったので、、、
なぜうちの店舗だけ退職者が少なく、業績も上がったのか?
その、先輩店長さんは分かっていたのか知りません。
でも、SNSで宣伝だけしても満足させられなければ口コミも悪くなります。ということです。
※これ以上は書けません。退職するときに誓約書を書かされました。同業他社には就かない、、、など。
しかし、出る杭は打たれるを経験します。
さらに出過ぎると、、、、
その前に
私が元々いたA店の店長が突然退職しました。元々私がいたA店です。
退職理由は、書けない様な内容です。
ですので、女性スタッフ全員辞めると言っていました。
そこで、社長からA店の店長を兼任してくれ!
と言われます。
簡単じゃないですよ。
みんな辞めるって言ってるんですから。
説得とかで収まるレベルじゃないです。もちろん話しはいっぱいしました。食事にも行きました。
時には個人的に。
接客も全てやり直しです。
ですが、スタッフが変わって行きました。
「今までの接客と全然違う!」「楽しい」
と言ってくれる様になりました。
私がいたお店でしたが、スタッフは全員入れ替わっていました。
ですので、接客スタイルが全然違っていたんですね。
お客様が選ぶのを手伝うのと、提案して喜んでもらうのは全然違います。
喜んでもらうとまた頑張りたくなります。しかし、簡単ではないのでたくさん壁にぶち当たります。
それでも、またお客様に喜んでいただいたらどんどん楽しくなっていきます。
徹底的にそのサポートをしました。
次は、スタッフが困っていたことを全て解消して行きました。
前の店長には申し訳ないですが、問題を全く解決していなかったんです。
取引先やお客様からのクレーム
クレームは一番ほったらかしてはいけません。
スタッフと一緒にお詫びに行ったり、もちろん私一人でも取引先やお客様宅へ謝罪に行きました。
すると、当たり前ですがスタッフからの信用も上がってきます。
「店長が違うとこんなに違うんだ!」と、、、それは経験した人間ならばすぐにわかります。
半年ほどかかりましたが、無事に立て直しました。
私は今までやってきたことをやっただけですが、10年以上働いていましたので、徐々に私の教え子?たちが他店で重要なポストで頑張ってくれる様になります。
私のことをよく思ってくれる人が勝手に増えてきました。
他店のスタッフに「私と一緒に働きたい」と言われた事もありますが、それは「隣の芝生が青く見えるだけ」と言ってました。
が、、、、、
わかりますよね。。。。
目立ちすぎると邪魔になる
今までに味わったことがない陰湿な嫌がらせ!
イジメられたことも、嫌がらせを受けたこともなく生きてきました。
ただ、イジメられたとかじゃないんです。
私に直接やってくればいいんです。
陰で
周りから
私の大切なスタッフに嫌がらせをしてきたんです。
もうめんどくさいし、ウザい
本当にしょうもない時間と労力でした。
※これはプロフィールに書くと感じの悪い深い内容なので別記事を用意させていただきます。
しかし、この嫌がらせで退職したわけではありません。
いつかは諦めるだろうと思っていましたし!
別記事で書いていますが「人を変えようと、ブラック企業を変えようと」していました。
これは無理でした。
そもそも勘違い野郎でした。
会社のトップも「職人はいらない!パートさんでも出来るようにしないといけない」とか言ってましたから。
妻は私が退職した後もしばらくは在籍していましたし、私と一緒に頑張ってくれた仲間もいたので、申し訳ない思いはずっとありました。

「れおさん」がいなくなってみんなお店の全てが変わったと口をそろえて言っていました。
上司の違いでこんなにみんなの働く環境、やる気が変わるんだ、もちろん「れおさん」の思いを受け継いでいた、スタッフみんなでお客様のために!感動!をというのはやりましたが、社長の考えはかわらず、スタッフをコマとしか思っていなかったので、、、、
改めて「れおさん」の存在の大きさ、どれだけみんなを働きやすい環境にしてくれていたのか痛感した毎日でした。
※上記の文章は妻が書いたものをそのまま載せています。
先日最後の親しかった部下が退職できたので、もうあの会社のことは忘れます。
ブラック企業は許せませんが、私は恨んではいません。
しかも、考えることが無駄です。
話しがそれました。
年中無休のお店で売り上げ売り上げのプレッシャーやストレス、2店舗掛け持ちの店長
嫌がらせなどで徐々に身体は悲鳴を上げていました。
ある事件・人生最大の転機
自分では大丈夫と思っていたのですが、相当なストレスがかかっていたと思います。
2店舗掛け持ちをしていたので「高速」に乗ってしょっちゅう行き来していました。
高速道路を走行中に「フッと」落ちた様な感覚になりました。
眠かったという感じではありません。
そして、「脳梗塞」ってこんな感じかな?みたいな状態になりました。
まだ、高速道路を走行中です。
止まれません。
ゆっくり左側を走り、なんとかサービスエリアまで行きました。
そこで「あぁ、死ぬんだな」と、いろんなことを走馬灯の様に思い出しながらじっとしていました。
すると、徐々に落ち着いてきました。
なんだったんだろう???
そしてまた運転し始めると、また襲ってきました。
高速を降りて一般道でどうにか帰宅しました。
が、帰宅してからもまた襲ってきたんです。
そして救急外来に行くことにしました。
その時一緒に行ってくれたのが今の妻です。死ぬんじゃないかと思っていたので、何かあったら後のことをお願いしようと思っていました。※単身赴任中
幸い、点滴を打ってもらって安定しました。この時はまだ「パニック発作」という言葉すら知りません。
検査のためその日は病院に泊まりました。
検査は特に異常なしでしたが、、、
そこからです。
私の身体中に異変が起きてきたのは。
仕事はしばらく続けていましたが、仕事中にも発作が起きて救急車を呼んでもらう様なことが出てきます。
2店舗の店長も継続中です。
車も乗れません。
新幹線も無理です。各駅停車で行き来していました。
まだ、職場のみんなには伝えていませんでしたので、現在の妻だけしか知りませんでした。
日に日に悪化し、もう限界でした。
そして、
自ら命を経とうとしました。
詳細は控えさせていただきますが、気がついたらICUにいました。
絶望したとかではないんです。病気がそうさせたんです。
当時、15階のマンションに住んでいましたが、地面に足がついていないと怖い感覚や、もちろん車やバス、電車にも乗れませんでした。
シャワーも浴びれない。
美容室で座っているのも無理
身体中がおかしくなっていました。
退院して心療内科へ
しかし、まだ信じられないというか
他に原因があるんじゃないか?と思って、ありとあらゆる病院に行きました。
簡単にまとめていますが、あまり思い出したくないのもあります。
しかしこれは、誰にでも起きることかも知れないです。
徐々に書けるようになったら、皆さんが私の様なことにならない様に記事にします。
多少のストレスは誰にだってあります。
苦難を乗り越えた方が喜びも倍増します。しかし身体はちょっとづつサインを出していました。もう無理だよって!
退職と同時期に離婚しました。
子供達や仲間とも離れました。
そして故郷を捨て、全てを捨てました。
今でも連絡は取っていません。
治療期間
心療内科・精神科
整形外科
歯医者
整骨院
スポーツ整体
鍼灸
ペインクリニック
脳外科
もちろん総合病院でMRI、CT、レントゲンなども全てやりました。本もいっぱい買いましたし、治療器具も買いました。
私が一番助かったのは「ペインクリニック」でした。
首にブロック注射をするんです。
注射してもらってからしばらくは落ち着きます。
しかし、一時的なものです。一番辛かった時はありがたかったです。
長期間かかりました。
病気のことも長くなるので別に記事を用意します。私が苦しかった様に、誰かもまた困ると思います。
医者じゃないので治すことはできませんが、
「グッドドクター」でこんな事を言っていました。
「医者でも治せないことがあるんだよ」
今は少しだけわかる気がします。
ネットでは医者や弁護士、金儲けの記事ばっかりでした。私はそれらの情報に惑わされずいぶん遠回りをしたと思います。
歯医者に行ったら「歯並びが原因で肩こりになり、全身が悪くなる」
「首こりはうつ病の元」
○○だけで△△が治る!をいっぱいみてきました。
本も、健康器具もたくさん書いました。
病院も行き尽くしました。
藁にもすがりたい思いです。
治るんだったらなんでもしたい!という思いです。
しかし、医者は部分的にしか観ません。※個人的な意見です
唯一、かかりつけの「内科医のおじいちゃん先生」は寄り添ってくれました。
めちゃくちゃ話しが長い先生です。
「ありがとうございました」って帰ろうとしても、また何か言ってきます。
そんな先生が一番ありがたいです。
繰り返します。
「○○だけで△△が治る」は無いと思います。
そんな訳ないです。
Twitterでもやっていたら経験者の体験談やアドバイスもあったんでしょうけど、当時はまだSNSはやっていませんでした。
経験者だから寄り添えることがあると思います。
妻
現在の妻がいなかったら、たぶん今私はいません。
店長だった私が面接したスタッフです。
人材確保も大事な仕事です。
専門学校の企業説明会に行き、教室の教壇で我が社の、喜んでいただく仕事のアピールをしに行きました。
そこで面接に来てくれたのが彼女でした。
まだ成人式前の19歳です。
頑張り屋さんでしたね。
私の与える目標をことごとく達成し、後から入ってきてくれるスタッフにも「あの子を目標にすると良いよ!」と言える様なスタッフになってくれました。
離婚して故郷を捨てた時に、彼女が「ウチに来てください」と言ってくれました。
狭い部屋です。
でも、ありがたかったし
心の支えは彼女だけでした。
派遣会社でアルバイト
1年くらいは治療に専念しましたが、これ以上は劇的な回復は難しいと思い
たまたま歩いてたら「派遣会社」がありました。派遣会社がどういうシステムなのか?も知りませんでしたからね。
髪の毛は「シルバー」でした。
「こんにちは!」「ちょっと話聞いて良いですか?」
って入ってみました。
すると、履歴書も要らず「あっ、イイっすよ!」って
軽っ!!!
って感じで採用
派遣の仕事なんて知らないから何がなんだか、、、、状態
8時15分に○○駅の横のコンビニに行ってください!そこでAさんが迎えに来てくれます。
準備してと言われていたのは「ラバー手袋」ゴムの軍手みたいなヤツです。それだけ!
向かった先は引っ越し屋さん(家庭向けではなく企業向けの引越し業社)
作業着に着替えて、、、、
涙が出ましたよ。
本当に。
40過ぎたただのおっさん扱いですよ。。。
わかります?
怒鳴られて、、、、
邪魔とか言われて、、、、
まぁ、しょうがないです。
資格も経験もない人間がお金を頂くんですから。。。
よく考えたら当たり前です。
私が、現在の状況を理解するのに時間がかかったんです。
カッコばっかりつけて生きてきましたからね。(笑)
ただただ、人生で味わったことがない経験でした。
でも、そんなことで諦めませんし辞めたりしません。
むしろムカつきます!認めさせてやるって。
良い事もありました。
汗かいて、クタクタになって、、、なんでも美味しい感じがするんですよ。
水やコーラでも、もちろんビールの味が全然違うんですよね。
あとは、真面目にやってたら「指名」みたいのがつくんですよ!
引っ越し業社には派遣会社は2〜3社入ってましたので○◯派遣の△△君もっと入れてよ!って感じで
それで、派遣会社の担当さんから「指名きてますよ!」って
嬉しかったなぁ〜
それから、めちゃくちゃ厳しい人に「昨日キツくなかったですか?」と言われたのも感動しました。
派遣なんて声もかけられません。心配もされません。いわば道具です!
その厳しい人は、本当に厳しかったです。
はじめは口もきいてもらえませんでした。
ひたすら頑張っていたらある現場でトラブルがあって
自分のことを○○さんだけ残ってもらってあと帰って良いぞ!と、私を頼りにしてくれたんですよ。
ガッツポーズ!!
地道にやってたら見てる人は見てます。の話しでした。
しかし、熱中症をきっかけに体調が悪化してしまい
コールセンターを紹介されました。
が、研修中にまた体調が悪化して断念しました。
コンビニでアルバイト
また、しばらく療養して今度はコンビニでアルバイトを始めました。
リハビリのつもりで軽めの仕事からが良いかな?と思って特に深く考えずにやりました。
一つだけここのコンビニにしようと思ったのは「スタッフが外国人ばっかりだったから」です。
お客さんとして行っていたお店だったので店員さんは知っていました。
働いてみると「ベトナム」「中国」「ネパール」人がいました。
なぜ?外国人がいる店が良かったかと言うと、元々外国の人は好きだし人間関係がめんどくさくないです。
40過ぎたおっさんを白い目で見たりしません。
案の定、とっても楽しかったです。今でも交流があります。
しかし、3ヶ月くらいしか続きませんでした。
外国人スタッフと、店長が日本人だけだったので私は夜勤に回されました。(外国人スタッフはよく働きますが、クレーム対応が難しいのです)昼夜逆転の生活は少しずつ辛くなってきます。
そして、業績悪化を理由に夜勤が1人体勢になります。
はじめは2人〜3人でしたが目の前に大手のコンビニが出来てお客さんが減ったためです。
1人だとトイレも行けません。
普通だったらなんでもないかもしれませんが、緊張状態が続き、とうとう壊れてしましました。
でも、本当に楽しかったですよ。
みんな超良い人でした。
中国の女の子は国に帰りましたし、ベトナムの友人ももうすぐ帰ります。
私は必ず会いに行くと約束しました。
一つだけ、コンビニは廃棄の弁当やスイーツ、肉まんや揚げ物など食べ放題なので食費はほぼ0でした。(笑)
でも、わかります????
そこそこの地位を手に入れ、家買って外車乗って、、、
そんな男が40過ぎてコンビニでアルバイトですよ。※コンビニで働いている方すいません。
落ちるとこまで落ちたら、後は上がるしかないでしょ!!!!!
タイへ
タイに逃げました。
もともと「タイ」には旅行で10回以上行ったことがあり、いつかは住んでみたいと思っていましたんで!
理由は、現在の妻とお別れをしようと思ったのです。
21歳も離れていますし、私の身体も十分ではありません。
同年代の人と、普通に結婚して、子供作って幸せになって欲しい。と本気で思って別れようとしました。
妻は一途な人です。
一時的に、「年上で珍しくって馬鹿」な私に興味を持っているだけだと思いましたし、私がいなくなれば次の恋には簡単に行けると思いました。
可愛いし、はっきり言ってモテます。
普通にナンパなんかよくされます。
でも、頑固なのです。
しかも馬鹿です。タイまで追いかけてきました。

末っ子の甘えん坊が一人で、直行便ではなく乗り継ぎでタイまで来たんです!
覚悟を決めましたね。この人と一緒に生きる!この人を幸せにする!
タイの話しに戻りますが、いきなり行っても、、、、、
仕事が出来ない!
面接は行って受かりました。しかし、、、
最終学歴の卒業証明書
保証人などいろいろ。。。
が必要だと言われ一旦断念
行く前に調べていれば良かったんですが、思ったらすぐ行動するタイプなので。(反省)
行き当たりばったりも酷いでしょ!!
コンドミニアムまで借りたんですけどね(汗)現在再計画中!
交通事故
まだまだ神様は試練を与えます。
12月24日(付き合い始めた記念日)
入籍をしようと決めていたその日
自転車でちょっと買い物に行っている途中、車に横から衝突されました。
自転車は全損!!!!
予測していない、構えていない状態で横から衝突されるのはけっこうダメージありますよ。
現在、首の右側にひどい痺れ
身体の左側が全体的に痛い
左手の親指、人差し指に痺れ
股関節の痛み
左足首の捻挫?の後遺症で階段は左足から降りれません。
もうすぐ半年になります。
事故のことも別に記事を書くつもりです。知らないことはやっぱりいろいろ大変です。
海外に行く前に、痺れは治したいです。
TATTOO・アートメイクなど
アートメイクは韓国でしました。(眉とアイライン)
理由は接客業だったし、女性相手だから。
本当はモテたかっただけですね、、、たぶん(苦笑)
あと、シミ取りレーザーも何度もやってます。自慢ですが10歳以上は若く言われますよ!^_^
脱毛も。
TATTOOは私にとっては普通ですが、日本ではまだ良い印象は無いでしょうね。
海外に行くと誰も驚きませんし、普通に高級ホテルのプールサイドでTATTOO入った人が、ゆっくり本を読んだりして時間を過ごしてたりします。私は海外に早く行きたいです。タトゥーが理由ではありませんが、、
困ったことは、日本では温泉に入れないことくらいですね。
自慢することでは無いので普段は隠してます。
まぁ、それぞれ思いがあって入れることですので、個人の自由ということで。
パイプカットもしていますが、それもちゃんと理由があってやっています。
この辺は、私にとってあんまり重要ではありませんので、これくらいで。
フリーランスに転身する
コンビニでバイトを始めたあたりからいろいろ考えて「ネット」で探してました。
自宅でできる仕事です。
まだ漠然としていたので「ネットショップ」「転売」が先に目につきました。
少しやってみてあまり向いていないと思ったのと、海外に行きたいのでパソコン一つで出来る事を探して「ブログ」「アフィリエイト」を知りました。
でも、先ほども言いましたが
Twitterもインスタも、ブログなんかやったことがありません。
今なら、○○さんのブログや△△さんのYouTubeを見ればある程度学べる。
というのが分かりますけど、当時は何から始めたら良いか分かりません。とりあえず本を買いました。
でも、でも、でも、、、、難しいです。
はっきり言って、始めたと言っても放置していました。
コンビニを辞めてからです。本気でやり出したのは!
もう外では働けない。
在宅で出来る事「ブログ」で生きていく覚悟を決めました。
それからは無我夢中ですね。
失敗しても諦めない。
でも、一言でブログと言ってもいろんな種類がありますし、ただ記事を書けば良いわけじゃありません。
芸能人でもありませんので「今日はこれ食べました!」「今日はいい天気ですね!」とかでは1円にもなりません。
お金をいただくには「ブログ」「アフィリエイト」と言ってもいろんなタイプがあります。
全く違ったことをやってるなんて、ザラにあります。
わかりやすく言うと、
何かスポーツを始めるのに
サッカーが良いのか、バスケか?ラグビーか?ボクシングか?
ボクシング始めるのにサッカーのスパイク買ってるみたいな事はよくあります。
しかも、どこかのスクールなどに入って教えてもらうんではなく独学です。割と今はYouTubeもネットもありますので学べますが、いろいろ見過ぎると迷ってしまいます。
また、サッカーが良いのか?ボクシングが良いのか?になってきます。
さらに凄い人をみると「あぁ、自分のブログ・記事なんてダメだなぁ〜」と100万回くらい凹みます。
それでも、これしかないので継続していますが、新規サイトを立ち上げて記事を入れたが、諦めたりしていつの間にか8サイトになっていました。現在は3つまで絞って方向性が見えてきました。
そしてアドセンスにも合格し、収益も出ています。※少ないですが大きな前進です!
多くの人が1円も稼げないまま辞めていくそうです。それぐらい簡単ではないです。
でも、逆に考えています。
そんなに簡単だったら困ります。みんなやりますよね!
鬼の努力・鬼の継続・鬼の改善
で、、、
「フリーランスという働き方」
を見つけました。
そして楽しくなってきました。
だって、地球の裏側の人だって私の書いた記事を読んでくれたりするんですよ。
最高です。
そして、ある時気がつきました。
「悩み相談はしょっちゅう受けてたじゃないか!!!」
スタッフの相談も聞いてましたし、人も育ててきました。それを書けば良いんだ!と。。。
「自分が困った事もいっぱいあったじゃないか!」それは、これから誰かが困ることかもしれない。
そんな方の役に立つ記事を書けば良いことに、1年以上経って気がつきました。
カッコつけの私はまだまだ未熟です。
今でも、奢ってもらったりするのは苦手です。
妻にも借りを作りたくありません。彼女は誰よりも分かってくれています。
私が一番輝いていた時も、どん底の時も知ってくれている唯一の人です。
不器用だけど、私にしかできないことをやり続けます。
先人たちに学びながら「オンリーワン」を目指します。^_^
「れお」の夢
私には夢があります。(同期のサクラっぽく!!)
それは「仲間と共に同じ夢を実現する」ことです。
お金も稼ぎたいですがそれは最終目標ではありません。お金は生きていくだけあればいいです。
それよりも必要とされないことの方がツライです。
妻を幸せにしたい、両親に恩返しもしたいですが
夢がないと、目標がないと私は頑張れません。
必要とされたいです。
世の中から、必要とされたいです。
誰かの役に立ちたいです。
どうやって役に立つのかは、まだまだ模索中です。でもブログという素敵な世界を知りました。
先ほども言いましたが、
ひょっとしたら地球の裏側の人の役に立つこともできるかも知れません。
実際私のサイトには、アメリカとか海外からのアクセスもあります。
そう考えたらワクワクします。
それから、やっぱり仲間は素敵です。
私はそういう人間です。一人じゃつまんないです。実際に会って夢を語り合いたいですが、はじめはネットでも構いません。
いつか実現させます!
この「プロフィール」は追記して行きます。長文でしたが、そんなに簡単にはまとめられませんし、ここからが楽しいところです。
まだまだ終わりじゃありません。
ここからがスタートです!
それで、ドメイン名が『COCOKARA』になっている訳です。ここから始まる、、、、
大好きだったばあちゃんの葬式に行けなかった。
大好きだったばあちゃんに胸張って報告したいです。
ばあちゃんが亡くなったのは知っていました。
しかし、もう帰らないと決めていたので葬式にも行きませんでした。
亡くなる少し前に会ってはいました。母が言ってました「もう誰だかほとんどわからないけど、あんたのことばっかり話すんよ!」って
一緒に暮らしている孫もいますが、たぶん私が心配ばっかりかけたから、、、
美味しかった漬物が懐かしいです。

海外に行く前には墓参りに行きます。必ず!
名前を伏せて、顔出ししない理由
それは、両親、子供達、友人や仲間にまだ合わす顔がないから。
いつかきっと、、、誰かに必要とされる人間になったら。
会えると、、、、そう信じて。
おわりに
長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。
ここまで読んでくれたあなたを「ギュ〜〜っ!!」てしたいくらいです。
これからも張り切って運営して行きますので、応援していただけると嬉しいです。
そして私はあなたの応援団長です。覚えてますか?小学校時代の応援団長の話し!(笑)
また、遊びに来てくださいね。
もし私にできることがあったら問い合わせからでも、Twitterからでも言ってください。DMでも良いです。
ブログやってみたいとかでもOKですよ。
めっちゃ喜びます^_^
れお
【お詫び】
事実に基づいて書きましたが、書けない内容は省いています。個人を不幸にするようなことは書いていません。私自身にもまだ言えない事もあります。(もう誰も信じない!となった経験もあります)
不適切な内容がありましたらお詫びいたします。また削除依頼はコメントから受け付けます。